top of page

知多半島・渥美半島の砂調査

知多半島・渥美半島の砂調査

2002.11.24、ガイド:紀子さん

 

 

 

 7時05分出発。豊田市朝日ケ丘から国道155号線を西に走り、知多半島の西側を南下する。目的は、お吉が浜と千鳥が浜である。この近くに鳴り砂があるという情報を聞いたことがあり、豊田の紀子さんにドライブしてもらって出かける。sさんとは、1996年12月31日、仁万の城福寺で知り、健ちゃんの水琴窟にも興味を持っている方である。中国語を専攻され、今は中国の交通公社に勤められ何度も上海に出張されるなどの活躍をされている。

 

 伊勢湾を右手に見ながら、薄曇りの知多。常滑など20年ほど前だろうか一度行ったことがあり、その名前だけで懐かしさを覚えた。もちろんその時何処を走ったかは全く覚えていない。粉体技術工業協会の粉砕・ふるい分け分科会の勉強会で陶器会社の工場見学を兼ねて行ったときのことである。

 

 町中を走ると海辺らしい建物、風景になり、一方方向に向いた松林などが目に飛び込んできて、海岸が近いことを教えてくれた。最初の海岸線にでると、堤防側はコンクリートで固められた波堤で砂があるなんて想像もつかない状態である。遠くに工場らしい建物が曇り空の中に浮かんで見えた。その少し手前に緑が見える。人工的なものであるが、黄色い土手、砂浜らしいものが見えた。「行ってみましょうか」「そうだね」少し戻るような位置で数分、細い道を引き返した。

 

 

 

[マリンパーク?]

 

 やはり公園になっていた。その場所が、自然の半島(?)だったのか人工的に加工されたのか、それとも人工的に作られたのかは分からないが、砂の動きはほとんどないように思えた。それでも少しの砂をサンプリングした。小雨がちょっとぱらついた。目的の場所へ移動することにし、今度は私が運転した。ちょっと具合の良くない清水さんである。助手席で眠った。道は、もう一本道で南下するだけで、途中、海岸線を気をつけておけば良いくらいの地理である。

[小野浦浜]

 

 十数分走ると、地図にない砂浜らしい景色が見え、道路脇には小野浦海岸と看板が立っていた。車を道路脇の空き地に停め、海岸へ一人で降りてみた。飛砂があるのであろう、飛砂防止の柵が、むしろを横にしてあちこちに張られていた。そこにはこの海岸で細い砂がきれいにたまっていた。砂のサンプルを採ったが、ここの砂ではなく、海岸線の砂で、波動で動かされ堆積している砂を少しだけ採った。この砂の方がこの砂浜の自然の形をしているからである。砂は当然のごとく鳴るはずはなかった。それは、砂浜に入った途端、柔らかかったのである。

 

 日本海に比較して、風はないのに、寄せる波は高くたくさんの若者がサーフィンを楽しんでいる。砂浜の護岸に立ったとき、波打ち際にはたくさんの小鳥が集まっていた。これが千鳥なのだろうかと思った。千鳥が浜が近くにある。この鳥は千鳥だと決めロマンに浸った。♪♪浜千鳥、、、の詠が思い出された。

 

 車に戻り、千鳥が浜やお吉が浜の位置を地図上で思い浮かべながらさらに南下した。彼女はまだ疲れ、眠っていた。師崎7kmの標識。そんなときに清水さんはが目を覚ました。「どの辺に来ているの」地図を広げ、確認した。「あれ、もうこんなところ。志波さん、行きすぎているよ」もう先端に近い町まで来ていた。漁業組合場のようなところに入り込んむ。たくさんの人で、朝市らしい様子で10時の開店であろうか。地図を確認して、ここでUターンし、地図上での千鳥が浜を目指した。

[千鳥ヶ浜]

 

 運転を変わったところの近くまで戻ってしまった。紀子さんが地図を見ながら、それらしき道へ入った。細い道になってしまい、家の合間から海が見えてきた。もう動きが取れないようなところへ入った。ちょっとした駐車場があってそこに停めて様子を見に降りていった。「行けそうだよ」一方通行の道に出るとそこが千鳥が浜であった。道路は狭く、倒産したと思われるホテルの玄関前に車を停める。砂が道路の近くに散っていて、飛砂が多いことを教えていた。海浜に入ると、トイレの回りには砂で埋まるような状況であり、海岸は、遠くまで飛砂防止のためのネットがジグザグに張られていた。海には、たくさんの竿が立っていたが、何のためなのか分からない。その合間で、たくさんのサーファーが、あたかもアシカが群れになって泳いでいるかのように波と戯れていた。

 

 砂は細かく柔らかかった。「何処に書いてあったっけ。世界でいちばん小さな砂とあったよね。」「どのガイドブックだったでしょうね、、、」「ここだったかな~」きれいな砂をしていたが、鳴り砂の性質は感じられなかった。「煮沸したら鳴るかな」「煮沸すると、鳴りだすの」「え~、むかし鳴り砂だったなら、今鳴らなくでも煮沸すると鳴りだしたならば、汚れていると判断できるんだよ」「そうなの。楽しみだわ。先程の方の鳴り砂の話しがここの砂浜だったいいわね」先に撮った小野浦浜の小鳥の群れを思いだしていた。砂を少し採って車に戻った。

 

 旅館街が海の傍まで迫ってきていて、ビルの間の狭い道には、松の木がむかしを思い浮かべるように狭苦しそうにコンクリートの合間からニョキッと立っていた。「面白景色ね」森林に興味のある紀子さんはその景色にすぐに反応した。

 

 地図からするとお吉が浜はもう少し戻ったところで、ここと思えるところから左に入った。ホテルの入り口で、さらに海岸の方にある駐車場に停めた。降りてみると、どうも砂浜は見当たらない。千鳥が浜と小野浦浜の間にある砂浜であり、遠くに千鳥が浜が見え、先には小野浦浜らしい景色が見えていたので、この辺がお吉が浜であることは間違いないと思った。それにしても砂浜は全く見えない。「あの人に聞いてみよう」ホテルの従業員らしい白い服を着た人が掃除をしている姿が数十メートル先に見えた。近づいていったら姿が消えたが、手前の広場で洗濯物を干している方がいたのでそこ方に聞いていた。「お吉が浜は何処でしょうか」25000分の1の地図を広げて見せた。「見にくい地図ですね、、、」地図の向きを変えながら「・・・」「ここに神社があるんですが、、、」「あ、そうね。こうだね、、、ここがお吉が浜ですわね」「砂が見えないのですが、、、」「この位置からするとこの先は小野浦海岸だから、間違いないね」「この辺は岩場ばかりだよ、、、」「そうですね。じゃあ、少し歩いてみます」さらに北の方へ進むと、先ほどのおじさんが水道ホースでガラス窓を洗い流していた。「すみません、お吉が浜はこのあたりでしょうか」「そうだね」「砂浜が見えないのですが、、、」「あちらの方が砂浜はきれいだね」「小野浦海岸でしょう」「そうだね」「砂浜どうなったんですか」「ここらは岩場ばかりだね」先ほどの人と同じ答えだった。「そうですか、ありがとうございました」

 

 「ちょっと向こうまで歩いてみようか」「そうね」ちょっと歩くと、先ほどの小野浦海岸が見えてきて、、今歩いてきたところがお吉が浜であることは地図の上からも間違いなかった。周囲の風景の写真を数枚撮った。

[師崎フェリー乗り場]

 

 「じゃ、南下しようか」「そうね」車のところまで海に沿う私道かと思える人通りのない道の海岸線を歩いて戻った。「今度は私が運転するわ」「やろうか」「また眠たくなったら代わって」「じゃ、お願い」渥美半島に渡るフェリーは11時55分である。10時半を過ぎたほどで、余裕の時間であると思えた。師崎までは一本道で、信号も少なく快適なドライブであった。

 

 「お茶飲みますか。後ろにポットがあるから飲んで」「ありがとう」咽が渇いていたので戴いた。「紀子さんは、、、」「ありがとう」暑いので少し冷やしで口に差し出した。「お~暑いわ」「そう、ごめんごめん」少し冷やして今度は手渡しに挙げた。オートマチックのカローラ、静かに走った。

 

 師崎に着くとたくさんの車が止まっていて、順番を待っていた。観光客はさすがに釣り人が多かった。「この辺に停めましょうか」「そうね」狭い通りに停め、切符を買いに降りた。紀子さんは、サッと降り、私は彼女を追うように切符売り場に入ると、紀子さんは窓口で予定していたフェリーを頼んだ。「車の車種は?」聞かれて手際よく切符を購入した。「伊良子まで」「何人ですか。車の運転者と他に、、、」「一人です」「6300円」高いだろうと予想はしていたが、結構するものだと思った。「良い値段ね」「でも、回っていくと思えば安かもね。時間もかかるし。どれだけ乗るの?」「12時35分に着くから、40分ね」「速いね」「2番、3番に行ってください」切符売り場は、売店になっている。その中をちょっと見回した。

 

 「フェリー乗り場に行きましょう」「あの車の後ろについておいてください。大丈夫だからね」折畳み椅子に座って切符の点検をしていた男性は女性ドライバーともあってか、優しく声を掛けていた。「観光バスがたくさんだね」「45分までに着いてください」ちょっと降りて海を眺め、写真を撮った。天気も良くなってきて、もう雨の心配はなくなっていた。「トイレに行ってくる」「わたしも」私の方が遅かった。「これおいしいよ」紀子さんが勧めた「じゃ、買おうか」梅味のスナックかしであった。「アイス食べない?」「いいわ、身体が冷えるから」

[フェリー]

 

 時間はすぐに来て、車に戻った。ふと気がつくと、フェリーが大きな口を開けて、乗船を待っていた。停まっていたバスが全部は行っていくのだろうかと思っていたら、マイクロバスと我々の乗用車ともう1台くらいしか乗らなかった。「あれ、少ないね。日間賀島へ行くのでしょうかね」船に乗ったかと思ったら、もう動きだし、桟橋から離れていった。船内は20名程であり、ぱらぱらの人であった。客室に座っていたが、すぐにデッキに出てみた。風はそんなに寒さを感じなく、気持ち以くらいの天候で、素敵な眺めであった。紀子さんも携帯のカメラで数枚の写真を撮っていた。「撮ろうか」紀子さんにカメラを向けたが「いいわ、お化粧もしていないし、、、」とカメラを避けたが、数枚の写真を撮った。「志波さんを撮ってあげるわ、、、」遠くの島々、何年か振りの乗船からの景色がきれいに感じられた。こうして紀子さんと乗っていることがさらにそのことを倍増していた。伊良子から来たの船であろうか、同じような大きな客船と遠くにすれ違っていった。

 

 「下に行こうか」あたたかかったが、さすがに風に当たりっぱなしでは寒い季節であった。同じ席に座って、窓越しに海の景色を楽しんだ。40分の時間はすぐに過ぎてしまった。「紀子さん、この船に乗ったことあるの?」「ウ~ン、初めてよ。いい記念になったわ」「そう、塩尻にいたとき、日間賀島へ行ったことがあるけど、どうして来たかもう覚えていないね。でも、渥美半島は初めてで、、、いいね」あっという間について目の前に伊良子港が迫ってきた。乗客は少なく、フェリーの車は3台ほどであった。

 

[ヤシの実博物館]

 

 伊良子岬港は師崎より大きく、駐車場にはたくさんの車が停車していた。ここはあの島崎藤村の作詞で有名なヤシの実の歌の発祥の地で、ヤシの博物館があった。館内は人が少なく、ゆっくりと見学できた。たくさんの種類のヤシの実があることを知る。車で船外に出ると、恋路ヶ浜の看板が大きく出ていて、浜はすぐに分かった。大きな白波が浜に寄せていた。位置的に船を降りた港がすぐ裏のように思えた。駐車場も広く、たくさんの同じような店が浜に面して寄せ合って立っていた。駐車場は幅広い浜の中央付近にあった。

 

[恋路ヶ浜]

 

 浜は広く、左端の高台には大きなホテルが、その下には崖を這うようにして道路が走っていた。右側は自然の景観で、岩場が広がっている。寄せる波は、白波ではなく特に左側の波は、黄色い泡のようなものが浮かび波立っていた。

 

 浜に入ると、砂は粗く柔らかい感触であり、鳴り砂ではなかった。波打ち際の濡れていないところを西(南)側に歩いていった。どの位置もやはり鳴りそうにはなかった。先端は岩が多くなり、きれいなタンポポに似た黄色い花が咲いていた。

 

 浜の全貌を見たかった。岬には灯台があるはずであり、そこへ行く道を探した。それらしき細い坂道を上っていくと、道筋に白い花が咲いている。デジカメに収めた。広い道に出た。ここからすこし展望が出来た。きれいな砂浜の稜線である。「これは車が通るね。」まだ頂上に行くには距離があるようであった。「一度戻ってから車で行こうよ」「そうね、、、。済みません、灯台はまだ遠いですか」通りすがりの60くらいの夫婦に紀子さんが問いかけた。もうこし距離がありそうであった。来た道を下っていった。 

 

 

[おみやげ]

 

 「昼食にしよう」「そうね、どの店にしようか」浜から上がると5,6件の店が、どの店も磯料理かと思える構えをしていた。「何処でもいいね」「うん」「じゃ、目の前の店にしよう」二階が食堂になっていた。たくさんの魚メニューである。紀子さんは牡蛎が嫌いである。「わたし、これにするわ」太刀の魚の定食である。「じゃ、私もそれに」太刀の魚は、子供のころ良く煮付けで食べていたことを思い出す。身が骨から喜齢にとれるので食べていても楽しいというような気持ちがあったことを思い出す。

 

 「中国で買ってきたブレスレット、、、ばらして必要なところだけ使って、、、」小さな細工がしてある象牙のブレスレットの中国出張でのお土産であった。「ありがとう」「これもう昨年のものだけど、あの時の写真、、、速いね、楽しかったわ。健ちゃんにもこれあげてください。健ちゃん元気にしていますか。」「うん、元気だよ。今年は馬路の子供たちと琴ヶ浜の体験教室をしたり、つい先日は馬路の文化祭と、健ちゃんと一緒で、活躍でした」「そう、たのしそうね。私も参加したいな~」いろんなことに興味を持っている紀子さんである。今は伐採にはまっていて、電動鋸で枝落とししたり、時には木に登るとか、、、。電動鋸での安全服や安全長靴、ヘルメットなどを一式そろえているのである。「安全服ってどんなものなの」「電動鋸の歯が足に触れたら、鋸が止まるというものなの」「へ~、すごいズボンだね」どんな材質なのだろうかと、興味が湧き、「私も欲しくなっな、そのズボン」山を歩くのに良いと思ったのである。

 

 太刀の魚は、両方ともしっぽの方であったので、身が薄かった。そして、焼き魚であるが、焼がすこし弱かったので、身のはがれは思った程よくはなかった。それでも味はよく、おいしかった。紀子さんには量が多かったようである。残した刺し身をもらって食べた。

 

 食事を終え「あそこの灯台に車で行けますか?」紀子さんは、店の人に聞いた。「いけません、あそこは関係者以外は入れません」「あれ、残念。しかたないね」

 

 

[石ころと蔓]

 

 「運転しようか」「いいわよ」「つかれたでしょう」「眠たくなったら、また代わってもらうから」あまり無理を言ってもと、助手席に座った。

 

 浜の左側を走り、帰路に入った。ホテルの下の道路から、恋路ヶ浜の全景を撮った。「あのホテルのところへ行ってみようか」もっときれいな展望が出来るかと期待してドライブで登ったが、恋路ヶ浜の展望はホテルが占有していて、全く望むことは出来なかった。しかし、その反対側は長く続く浜が一望できた。「あの荒波や浜の形では、鳴り砂の浜ではないね」「そうなの」「波が荒いから砂粒が粗いだろうし、、、」数枚の写真を撮って、すぐに下った。

 

 しばらく走って、紀子さんは海岸へ通じる道を探して入っていった。もっと、たくさんの砂浜を見せてあげたいと思ったのである。細い道になり、わき道に入って車を停めた。この先はもう海に通じると言うようなところで、そのまま入ってしまえば、Uターン出来ないような道である。その手前で降り、浜へ行った。浜は、ごつごつした岩場で、砂利の浜、、、海に浮かぶ大きな岩に汐たかく打ち砕ける波しぶきが見事であった。「映画のシーンみたいね」「そうだね、、、あの東映映画のシーンのようだね」そん風景であった。紀子さんは、両手にコブシほどの角の取れた丸い石ころをたくさん拾っていた。「何するの?」「蔓で巻いて飾るの」「そうか、良いね」貝殻も拾った。石は両手で持てないほどで、私のリュックに数箇入れた。

 

 持ち切れないほどの石を両手に持って戻ることにした。覆いかぶった通りの細道の両脇には蔦が巻き付いていた。紀子さんはそれを採りたく一本を引っ張った。私は手伝った。そしてもっとたくさんの蔦を引き下ろし、丸く輪を作った。太いものや形が大きく変形したものなどをたくさん採った。これで先ほどの石に巻き付けるのである。そのためにはと、もう少し細いものも数本採った。「うれしい、、、こんなに柔らかいんだね。これならやりやすわ」「硬くなったのは、水に浸けておいてからすると柔らかく、加工しやすいんだよね。私も以前蔓での工作を習ったことがあるんだよ。たのしいよね」車のトランクに石や蔓、貝などを入れ、紀子さんが運転である。4時を廻っていた。この時間なら、6時くらいには着くだろうと思えた。

 

 

[帰路と夕食お総菜]

 

 紀子さんは携帯で家に電話を入れていた。道路は順調に走っていった。わたしは助手席で時々地図を見てガイドした。それよりも紀子さんの方が大きな地図を頭に入れて走っているのである。国道1号に入ると車は渋滞に入った。岡崎に入るともう後は紀子さんの領域である。途中、紀子さんが使っているスーパーに入った。「今日は何にしようか。食べたいのも何かありますか、、、。水炊きにしようか」大きなスーパーで広い店だった。水炊き用の材料を買い求める。

 

 紀子さんの家に着いたときは、7時を廻っていた。料理はもう準備されていた。みんなでビールを頂き、浜の話に花が咲いた。

 

 食後、少しの時間、二階の紀子さんの部屋で、紀子さんのパソコンに昨日の水琴窟巡り皆で行った写真と今日の砂調査の写真を、私のデジカメから取込み、観て楽しんだ。

 

 広いお風呂で疲れを落とさせてもらった。紀子さんは、少し体調を壊したみたいで、「明日の仕事は明日の朝の調子によっては休むことにするわ」。広い一階の畳の部屋で休ませてもらった。

 

 やはり朝は調子が悪く紀子さんは会社を休んだ。雨の中を豊田駅まで紀子さんが送ってくれ、そこで別れた。リュックは砂で重たくなっていた。その足で名古屋から近鉄で大阪に向かった。電車の中でブレスレットを忘れてきたことを思い出した。しかし、部屋に忘れてきているはずはなかったが、、、。リュックとバックの中には何処にも見当たらなかった、、、どこかに落としたのだろうか?あの食堂に忘れてきた?いや、テーブルにもなかったはずだ、、、。後ほど、車のシートの下に落ちていたと連絡があり送ってきた。

メールアドレス:入力必須です!
※ 令和元年5月1 日:メールが受信できそうです!テスト中〜

ありがとうございます!メッセージを送信しました。

bottom of page