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石見の水琴窟

~石見銀山/世界遺産へ発進、豪商の生活振り~

 

 

 ここ島根県の石見は,鎌倉時代末の延慶年間(1308~1310)に発見された石見銀山から歴史が始まったといっても過言ではない。石見銀山は,守護大名大内弘幸が銀峰山において自然銀を見つけたのがその始まりといわれ,本格的な開発が始まるのは室町時代の大永6(1526)年のことで,博多の商人神屋寿貞が、銀山を発見した時からと歴史書に記されている。

 

 

 豪商熊谷家

 

 熊谷家と発掘調査の内容については,石見銀山遺跡発掘調査概要15 ミ大森銀山伝建地区内の発掘調査- (2006年3月島根県大田市教育委員会) 報告書に、以下のように紹介されている。

 「熊谷家住宅は代官所跡から南西方向に向かって50mの地点に位置し,街路に面して建つ建築物の中でも最大の町家建築である。

 熊谷家は遅くとも17世紀には銀山柵内に住み,銀山の経営を行っていたものと伝えられている。その後18世紀の初頭には現在の地に移住したとされ,金融業や代官所の御用商人を務めた。19世紀になると町役人に就任し,19世紀後半には酒造業も営み,最も有力な商家の一つとして繁栄した。

 現在の住宅は,寛政12(1800)年の大火により消失し,その後の再建になる。主屋の内部構成については,南側を土間,北側を居室としている。庭に面する「奥乃間」から東に延びる3部屋を接客の場としていた。19世紀における石見銀山の有力商人の社会的地位や生活の変遷を良好に示す町家建築である。

 平成11(1999)年に大田市に寄贈を受け,翌平成12(2000)年から保存修復工事が開始され,平成18(2006)年にその工事すべてを完了し,一般公開に供されることとなった。

 復元修復工事には,様々な調査が平行して行われ,それらの成果が,復元の根拠,または保存活用策として生かされることとなった。

 調査の項目として,建物の痕跡確認調査を筆頭に,文献調査,板図などの判読調査,指図(家相図)の精査,大正期からの古写真の判別調査,家屋に遺された墨書,祈祷札,落書きの調査,かつて住まいをし,あるいは関わった方々からの聞き取り調査,寄贈を受けた一切の家財にかかわる悉皆的調査,そして発掘調査である。これらの調査の子細は,保存修復工事報告書に記述されている。したがって,本書では保存修復工事報告書に掲載されなかった遺構遺物を中心に掲載し,考古学的見地から特徴的な調査事例である米・雑蔵,地下蔵,水琴窟を中心に報告を行う。

 発掘調査は,指図を確定的な事実となしえたことに大きな成果があり,この指図と発掘調査によって検出された礎石等をもとに復元がなされた」とある。

 このように,石見銀山遺跡発掘調査に際して,1800年代の古い指図を有する熊谷家より「水琴窟」の遺構(写真-3)が出土した。それは江戸時代後期のものではないかという貴重な発見であった。 

 

3 熊谷家の水琴窟(1)

 町役人や御用達,郷宿,造酒屋などを営み,“大森銀都”で栄え,豪商に相応しい屋敷を築いた熊谷家には,茶室や豪華な応接間がある。庭には蹲踞,そして水琴窟が設けられたことは想像に難くない。☆

 石見銀山遺跡発掘調査概要15報告書と関連指図から,奥の間の東側に茶室があり,茶室の隣に4畳半ほどの坪庭があり,その坪庭で蹲踞水琴窟の遺構が見つかったことが理解できる。この水琴窟は,江戸時代後期(19世紀前半代)のものと判断できることが、以下の報告文に記されている。

 

熊谷家茶室庭蹲踞水琴窟

 

 「茶室の坪庭における配管工事において瓶が発見された。蹲踞が配置されていることから水 琴窟跡と判断された。瓶の上部及び下部には漆喰を巡らせ,小石を配している。造られた年代としては,周囲から出土した遺物に19世紀前半から明治期までの制作年代の陶磁器があった。出土状況から判断して,19世紀前半代と伺えることが妥当と考えられる。」

 

 4 熊谷家のもう一つの水琴窟(2)

応接間へ上がる庭先手水鉢水琴窟

 熊谷家を見学に行ったところ,前記の発掘調査報告書の記載とは異なった場所に水琴窟が復元されていることに気づいた。その水琴窟が報告書の水琴窟だと思って観ていたが,それは別の水琴窟であるzことが分かった。受付の方に,水琴窟の調査で来たということを話すと,「いい音がしていないんですよ。私の耳が悪いのでしょうか?(笑)」と,ちょっと気になる答えが返ってきたと同時に,それでも音がしているんだと,私は少し嬉しくなった。早速見せてもらい,了解を得てコブシ大の玉石を取り除くと,海はモルタル仕上げで,水琴窟の孔が見え,孔から数センチのところに水面が見えてきた。「これではいい音はしない!(耳が悪いのではなかった)」これなら何とか音の復元ができるであろうと修復の工程を思い浮かべた。

 

 当時はどのような楽しみ方をしたのだろうかと思いを巡らす。厠はすぐ近くには無いし,茶室も無い。傍の部屋は,応接間だという。ここに通す人は,代官とか武家,幕府の要人など特別な方で,そのような人を招き入れるには庭の入口にある門から神輿で迎えたという。その神輿を置く大きく平らな一枚岩がその手水鉢の横に位置している。きっと,貴客が手を洗って部屋に招かれたのではないかと想像を巡らす。座についた頃に軽やかな水琴窟の音が届き旅の疲れを癒したのであろうか。

 

 

 

 石見(旧邇摩郡)の水琴窟

 

 大森地区を中心に温泉津・仁摩・宅野では銀・銀鉱石の積み出しや鉱山材料,生活物資が盛んに往来していたが,町並みからも庄屋・豪商の往時の生活が今もなお忍ばれる。特に温泉津町では焼き物,特にまげ物や瓶の生産が一つの産業として栄え,現在でも生活用品として使われなくなった瓶(この地方では,ハンドと呼ぶ)がほとんどの家に多く残されている。こうした環境が幸いし,私は水琴窟製作の基礎研究をすることができた。

 

 私の住んでいる地域,半径10km圏内に多くの水琴窟が眠っていることが分かってきた。それらの水琴窟の情報を、新設されたものを含め,以下に紹介します。

 

 

仁万周辺の水琴窟マップ(2006.11.3現在)

 

1)大谷邸

 所在地:島根県大田市仁摩町大井手

庭先蹲踞水琴窟

 構造:基礎実験をもとにして造った水琴窟。製作は基礎研究データをもとにして大谷氏自身が作り上げた。モルタルの受け皿を設け,水深の基礎研究をさらに進めたいという考えで,水深の調節が出来る構造とした。平成10(1996)年7月1日作成。平成の水琴窟である。

 瓶の種類とサイズ:石見焼。

  口の直径:390φ(外径)

  最大胴直径:390φ(外径)

  高さ:385h

  底直径:200φ(外径)

  孔直径:20φ

2)旅館のがわや

 所在地:島根県大田市温泉津町温泉津

縁先蹲踞水琴窟

 蹲踞の海の玉石を外して見たところ孔があったので水琴窟ではないかと調査した。2001年5月15日水琴窟に改造した。

 

 瓶の種類とサイズ:石見焼。やや丸みを帯びた瓶形。

  口の直径:390φ(外径)

  最大胴直径:500φ(外径)

  高さ:510h

  底直径:235φ(外径)

  孔直径:約25φ

 

 3)木島邸(1)

 所在地:島根県大田市仁摩町天河内

茶室蹲踞水琴窟

 明治中期のものと思われる。傍には茶室があり,茶会が今も行われているという。2004年12月初旬から修復に取りかかり,2005年5月26日に完成した。同年6月16日地方新聞山陰新報に取り上げられる。

 発掘状況:残念ながら瓶の底は壊されていた。内部には水が溜まり排水は良くなかった。瓶の周りには木の根が巻き,粘土質の土の中に埋まっていた。海の材質は漆喰であった。木島氏によるとこどもの頃は良く響いていたという。

 出土瓶のサイズ:焼物は石見焼と思われる。茶褐色で模様無し。

  口の直径:370~380φ(外径),315~330φ(内径)

  最大胴直径:370φ(内径)底から270hの位置

  高さ:350h(外寸),340h(内寸)

  底直径:200φ,割れていたが継合せて計測

  孔直径:約25φ

 修復構造概要:海には,砂など沈殿異物が瓶の中に流れ込のを極力少なくするようにリング状の砂沈殿域を孔の周りに設け,また枯れ葉や小石などが流れ込まないように,格子,排水目皿および特性のネットキャップを設置した。水深約150程になる受け皿に瓶を伏せる方式とした。

 

  修復に使用した瓶のサイズ

  口の直径:370~390φ(外径),318~335φ(内径)

  最大胴直径:約370φ(内径)底から170~300hの距離が円筒型。

  高さ:370h(外寸),340h(内寸)

  底直径:200φ

  孔直径:約20~25φ

  瓶の表面には,最大胴の部分に薄く波状の櫛模様が描かれていた。

 

木島邸(2)

 所在地:島根県大田市仁摩町天河内

雪隠手水鉢水琴窟

福光石で造られた直径1m程の手水鉢から流れ出る。横には厠がある。

 

 4)藤間邸

縁先蹲踞水琴窟

 所在地:島根県大田市仁摩町宅野

 建築物:天保5年(1834)主人29才の時に分家して現在地に移住。

 蹲踞:二抱えほどもある自然石に掘られた手水鉢,そして広い海が特徴であろう。現在の主人は昭和20年生れ。こどもの頃の記憶ではピーンピーンとうるさいくらい響いていたという。現在は,鳴っていない。25mm程の孔が確認できている。いつ頃のものか明確でない。

 

 5)泉家分家(前泉)

縁先蹲踞水琴窟

 所在地:島根県大田市仁摩町宅野

 建築物:明治初期のものと伺っている。現在古民家として町おこしに利用されている。

 蹲踞の傍には応接間と居間があり,内エンそしてぬれ縁がある。ぬれ縁の先に厠があったが,つい最近解体されている。

 調査状況:蹲踞の海には数センチの泥が溜まっており,オオハの根が蔓延っていた。平鍬で堆積していた泥とオオハを取除くと,3cm程の孔が現れた。棒を差込んでみると,空間があり,さらに泥の中へ棒が刺さった。その深さは550程あった。海の部分の材質は,その鱗片から漆喰である。海全体を見ると,ヒビが確認され一部がモルタルで修理されているように見えた。

 

 風雨にさらされており,瓶の中の泥を取除けば再音するであろうと思えた。

 

 6)内藤邸

雪隠手水鉢水琴窟

 所在地:島根県大田市温泉津町温泉津

 建築物:玄関先の案内板によると,「元亀元年(1570年)当家初代,内藤内蔵丞は毛利元就の命を受け温泉津港口に鵜の丸城を築き,奉行に命ぜられている。1603年関ヶ原役の後,毛利の撤退後は温泉津に土着し,代々年寄りや庄屋を務め,廻船問屋,酒造業,郵便局などの経営に携わった。現在の建物は延享3年(1747年)温泉津大火の後建てられたものである」とある。

 

 水琴窟がいつごろ造られたかは調査していないが,水琴窟を有した蹲踞であることは,1997年に見せて頂いたとき撮った(志波)から伺い知ることができる。

 

 7)インテリア水琴窟

 都会のうるさい騒音は近代技術によって遮断され快適な室内環境になってきたが,それと同時に自然の音までも失ってしまった。そんな建物では本来の水琴窟の音を楽しむということは出来ない。最近水琴窟のCDも販売されているが,やはり本物のオーケストラを聴きたい。それでは逆の発想で,静かになった室内で水琴窟の音を楽しもうということで,インテリア水琴窟の開発を始めた。

 

 どんな構造にするか,瓶の形状やサイズは,ポンプの流量はどれくらい必要か,ポンプの騒音,水滴の造り方など解決しなければならない問題が山積みであった。デザインが気になるが基本設計はほぼ改善され,専用の瓶を設計し,陶器会社で焼いてもらった。その一号機である。

 

(1)所有者:志波靖麿

志波室内用(ベッドの横で鳴り響いている)

 構造:ダイヤフラムミニポンプ(水約20ml(190滴)/min)による循環方式

  瓶口の直径:160φ(内径)

  最大胴直径:465φ(外径)底から350hの位置

  高さ:580h(外側),内深さ:560h

  底直径:310φ(外径)

 

 ランダムに近い音が鳴り響いている。

 

(2)旅館ますや

 所在地:島根県大田市温泉津町温泉津

    ロビー、枯山水水琴窟

 ロビーの枯山水箱庭で2004(H16)年4月4日より鳴り始めている。

 

 瓶の種類とサイズ:石見焼。高さ450ミリ,最大胴直径:約495ミリ,瓶口の直径295ミリ,孔の直径47ミリ。

 

 玄関に入って見えたお客さんが、水琴窟の音で癒される。

 

※石見には,他2ヶ所(温泉津町湯里,仁摩町宅野)の旧家に水琴窟があることを確認しているが,まだ調査はしていない。

 

水琴窟への思い

 

 東洋の人々,特に日本人は音に関する感覚が鋭いと言われ,文学の世界でも数々の詩に読まれている。虫の音,小鳥のさえずり,鶏鳴,せせらぎ,雫の音,朝夕の音風景,風の音,遠くに走る列車の音等々,題材には事欠かない。水琴窟というとまだ余り知られていないようであるが,次第にその清涼感に浸る人が増えてきている様である。私はここ10年程前に水琴窟を知ったが,それに魅せられている一人である。

 

 前述したように,ここ「石見」では,江戸時代より水琴窟が地域の豪商や武家など粋人達に親しまれた事は歴史的に明らかであるが,残念なことに現在ではほとんど忘れられてしまっている。

 

 10年前に提案した“石見銀山トライアングルコース”で,江戸の音文化「水琴窟」をもう一度この地に復活させたいと願っている。❶仁摩町の「一年計砂時計」で時間というものを知る→❷大森銀山から降露坂を越え,湯里に出て,茶屋で葛菓子と抹茶を一服。ここで水琴窟もいいだろう→❸温泉津に着いて温泉につかる。温泉津のあちこちの庭先や路地から響いてくる水琴窟を湯上がりに聴きながら歩く. . . . 。

 

 そんなコースで,石見を訪れる旅人や地域に暮らす人々を癒すことができたらと,そんな水琴窟の普及を私は夢見ている。

※ 2005年頃、馬路松浦裕邸に水琴窟があることを確認している。写真が何処かにあるのだが〜2019.8.13

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石見の水琴窟マップ

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大森の街並み街道/店は”竹下錻力”。大森に行くたびに立ち寄って夜遅くまでお茶を頂きながら話し込んだ〜

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熊谷家水琴窟、スケッチ(撮影禁止のためスケッチした志波描)音は出ていない。

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熊谷家水琴窟、中庭に。

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大谷平成水琴窟。大谷自作〜

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木島水琴窟:修復して音を回復させた。そのニュースが新聞に〜

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木島邸に再現させたニュース記事。新聞写真右:木島さん、左:志波

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木島邸の完成した水琴窟の取材(NHK)

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もう一つの木島邸水琴窟。

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藤間家水琴窟。土で埋まって音は出ていない。

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前泉水琴窟

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旅館のがわや水琴窟/温泉津 2000(平成12)年5月15日作り上げた。

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旅館ますやインドアー水琴窟/温泉津。メゾンアパートから持ってきたもの。

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内藤家水琴窟/温泉津  土で埋まって、音は出ていない。

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”旅館ますや”へ持っていった水琴窟(仁万、メゾン栄)。甕は小川商店からもらったもの〜

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インドアー水琴窟。設計して江津で3甕焼いてもらった。少し肉厚が厚く、ヒビが入った。小さなポンプを使って水を循環、いい音が響いている。  写真のように、銅線で編み込んで補強した。

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